メッセージバックナンバー


2005.1.23 「福 音」 船戸良隆師
聖書 ローマ 1:1〜2 (交読聖書 詩篇 5:2〜13)
人は、人生において、幾つかの出逢いをする。年配の人は、振り返ってみて「あの出逢いが」と思われる事があろう。
多くの人にとっては、その一つは結婚であるかもしれない。又、イエスとの出逢いも、最大の物であったろう。
パウロは、キリスト者に対しての徹底した迫害の中で、ダマスコへの途上、イエスとの出逢いがあった。最大の出来事であった事は言うまでもなく、そこで彼は文字通りの大転換、回心を行った。
その結果、パウロは自分自身を3つの規定によって、人生の方向付けをした。
@ キリスト・イエスの僕(つまり奴隷)として生きていく。
A 召されて、使徒としてのパウロ。
B 神の福音の為に選び分かたれたパウロ。
特にBは、パウロの人生を決定付けるものであった。「選び分かたれた」−アフォーリスメノス−という言葉は、英語の“horizon”(地平線)という言葉の基になった。それは、2つの物を区別するというだけではなく、何かの為に取っておくという意味となった。
つまり、選び分かたれるのは、何の為か? その特別な目的の為に取って置くという事である。
選びの思想はパウロに始まった物ではない。旧約で教える最も重要な教えである。
旧約で一番多くこの言葉が用いられているのは申命記(神の目的を記すの意)である。
申命記 7:6〜7「聖なる」とは選びという事。イスラエルの民が優れているから選ばれたのではなく、「神の恵み」によって選ばれたのである。その思想が新約に受け継がれている。
申命記 10:12〜20 特に18,19に目標が書かれている。何の為に、神が選ばれるか。目的を与え(ここでは主を愛するという事)、具体的には18節の事柄。
最近は、フリーターが多くなって、仕事を目的とする人が少なくなっているが、神に選ばれ、その人生を送っていく上ではっきりした目的を与えられ、そのために生かされていると言う聖書の教えは非常に重要である。パウロの目的は「福音」(預言者を通して約束されたもの…2節)である。
私達は「福音」というと新約のみという誤解をしがちだが、パウロの言う福音は旧約の事であり、アブラハム、イサク、ヤコブの時から約束されたものである。
新約は、ギリシャ語で書かれ、福音を意味するユーアンゲリオンは、嬉しい知らせをした者に与えられる報酬の事だったが、次第に変化して、嬉しい知らせを意味するようになった。
イギリスのある牧師が「私達が、信仰するということは、良い教訓を聞いたり、それを知る事で自分を鍛錬したりする事よりも先ず、その嬉しい知らせを聞く事だ」と言っている。
有名な約束として、イザヤ 6:1〜3があるが、イエスはそれを、ルカ 4:18,19で引用されている。貧しい人に福音が伝えられると言う事は、イザヤ 52:7〜10をパウロは引用している(10:15)
それは、バビロンの捕囚となって大変な苦労をした民達が解放されて、エルサレムに帰っていくときのことが描かれている。その喜びの知らせが福音だと言うのである。
日本人は幸か不幸か、植民地になった事はないが、他のアジアの国々の殆どは植民地となった。その地に行くと、解放されて何年も経つのに、その様子が親から子に語り継がれ、同時に解放の喜びも伝えられているのである。
今パウロは、キリスト・イエスの福音をローマの人達と、更に、そこを拠点として地の果てまで知らせたいと祈りを持ってこの手紙を書いているのである。
それは、パウロだけでなく、私達一人一人にもその使命が与えられているのである。それは、偶々今の私達が考え付いたのではなく、旧約時代から神がご計画を立てられ、私達を召されたのである。
私達は現在、はっきりした目標を与えられた者として福音を宣べ伝える使命が、与えられているのである。