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2006.10.08 「旧か新か」 マルコによる福音書2:18-22 吉良 賢一郎
イントロ

 本日の聖書個所には断食に関する論争とぶどう酒の皮袋を引き合いに出した話が出てきます。この二つの話はもともとそれぞれ独立していたと思われますので、福音書にこのような形で繋げられていましても、一見何の共通項もないように映るかもしれません。けれども、注意深くストーリーを読みますと、共通したあるひとつの重要な問題が、私たちに問いかけられていることに気が付くのです。それは、君たちは律法主義と言う「古い掟」を後生大切に保持し続けるのか、それとも「新しい掟」と言う、神が共にいてくださる喜びに満ちた福音の世界に生きるのか、と言うことです。
 これから暫しの間、断食とぶどう酒の皮袋のたとえ話を通して、私たちが主イエスから問われている「旧か新か」という問題を学んでまいりましょう。

I.                   断食の習慣

ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」(:18)

 書き方としては一般の人々の口を通して問いが発せられておりますが、実際のところは、バプテスマのヨハネの弟子(当然ヨハネも)とファリサイ派の人々、或いは、彼らの思想と生き方に共鳴する人々によって口火は切られます。曰く「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子[1]たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 ここから窺い知れることとして、イエスの弟子たちはどうも断食をしていなかったようです。

 そもそも、ギリシア語ではニステヴォーと言い、英語ではfastingと訳されております「断食」とは一体何でしょうか。[2] 文字通りの意味は「食を断つ」ですがその行為にどのような意味が込められていたのでしょうか。
 聖書には「断食」という言葉は全部で56箇所出てきます。その内、旧約聖書の用例は37。それらの用例にざっと目を通してみますと、聖書における断食は、嘆願、災難・悲惨の徴、悔い改めの徴、悲嘆にくれ喪に服していることを表す行為、大きな苦難に遭遇した時に実践する所作、また、自発的な神の前での遜りの象徴などに、分けることができます。

たとえば、嘆願行為としての断食に、ダビデ王の有名なエピソードがあります。ダビデは、己の犯した罪の結果ではありましたが、ウリヤの妻バトシェバトとの間に生まれた最初の子が病気で死にそうなときに断食しました。

ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。(12:16-17)

悲嘆に暮れ、喪に服す行為としての断食で有名なエピソードは、イスラエルの初代王サウルとその王子ヨナタンが戦死したときのものがあります。

彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した(2サムエル記1:12)。

 もっとも、ここで見ました二つの断食は、律法で規定されていたからではなく、先ほど列挙しました断食の種類の一番後、自発的なものです。

 実は、断食がイエスラエルの全家に義務付けられているのは「贖いの日」(The
Day of Atonement)だけです。イスラエルのエジプトからの贖いという文脈における、贖罪への準備としての悔い改めのアクションでした。[3]

 けれども、一般的な断食行為そのものは、時を経て預言者の時代の終わりには、一種の宗教的伝統となり、それは一世紀にも引き継がれていくことになります。新約時代には、いついつにどのような出来事を記念して断食すべし、といった細かな規定が作られました。[4] キリスト教会暦におけるレントを律法主義化したものと言えば分かりやすいでしょうか。

 新約聖書の中に現れる諸集団の断食は本来自発的なものした。神への謙遜を表すための断食です。けれども、定期的な断食が、ヨハネ集団(エッセネ派)やファリサイ派などの特定のグループの中で宗教規定とされ、日時を定めて慣行されるようになっていったのです。
 エッセネ派にしてもファリサイ派にしても、新約時代に登場したこれらのグループは正統派ユダヤ教を自認していました。ですから、彼らの断食の動機は、その出発点においては自発的なものであったにしろ、その根拠をユダヤ教、ひいてはヘブライ宗教(旧約聖書)に求めたのは言うまでもありません。それ故に、(モーセの)「律法」と「昔の人たちの言い伝え」(ユダヤ教の慣例)の境目が分からなくなってしまったのでしょう。

 以上述べたような宗教的既成概念とそれに基づく断食を実践していた彼らが、イエスの弟子たちの断食未実践を観察し、攻め立てたのです。より正確に言いますと、彼らが攻め立てたのは断食そのものというよりも、彼らのユダヤ教の習慣を無視した自由な行動に対してでした。同じマルコ伝7:5にはファリサイ派と律法学者の苛立ちが明瞭に記されています。「ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。『なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。』」。
 ヨハネのグループもそうですが、ファリサイ派にとって、昔の人たちの言い伝えを守らないイエスの弟子たちのあり方は、神に従う上での「楽な方法」に映ったのかもしれません。[5] そのことへの叱責ととれば、意味は明瞭になります。
 その背景には、イエスの弟子になったヨハネの元弟子たちの変わり様への困惑もあったかもしれません。[6] ヨハネの弟子にしても、ファリサイ派にしても、かつてはユダヤの「昔の人の言い伝え」に従って生きていた彼らが(人数はもっと多くいたかもしれなし)、イエスの弟子になるや否や、律法を無視しだしたのです。それゆえに、律法の規定と言うよりはユダヤの宗教習慣であった断食がひきあいにだされて、大問題になったのでした。[7] 

 けれども、ヨハネの元弟子は別として、使徒言行録で「無学のただ人」と形容されるイエスの弟子の多くにとっては、自発的な断食など些細なことであったことは間違いないでしょう。彼らは、仏教用語で言えば、出家したプロの宗教集団ではなく、在家の延長線上にいるアマチュアの信者たちです。しかも師匠であるイエスその人が当時の常識からすれば破天荒極まりない言動を繰り返していますから、そのような師匠の行動パターンに追従するのは自然なことです。
 けれども、このような習慣としての断食と言う些細なことが、イエスと弟子たちの律法に対する全態度を問われることになりました。[8] それでなくても、イエスの律法無視は、これに先立って既に何度かあったのです。安息日における悪霊祓いやペトロの姑の癒し、中風の者に対する罪の赦しの宣言、徴税人や罪人たちとの会食…。ファリサイ派の心境を平たく言いますと、ユダヤ教のラビが律法を無視してハチャメチャな行動を取っている! おおうつけ、傾奇者! です。

II.                婚礼の客は断食せず

 ここで断食をしない理由をイエスは説明します。

イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。(:19-20)

 イエスが議論するときの典型的な例ですが、主はファリサイ派やヨハネの弟子たちの質問にはストレートには答えず、カウンターアッタクのような質問を浴びせます。反対者たちに考えさせるのです。断食が主題であったにも拘らず、弟子たちを婚礼の客に、自分を花婿に見立てて、議論を展開するのです。
 福音書全体を持っている私たちにはイエスの意図は明確でありますが、このときの反対者たちには、恐らく、唐突な質問で、質問の意図が全く理解できなかったことでしょう。この議論を脇で聞いていた弟子たちですら、イエスの語られたことの本質はまだ分からなかったはずです。それが理解されるのは、イエスが十字架にかけられ、三日の後に復活するときを待たねばなりません。

 さて、ヨハネグループにしても、ファリサイ派にしても、イエスとの断食理解の決定的相違は何だったのでしょうか。ヨハネの弟子たちはひたすらに禁欲と身の清めに基礎を置いた贖いを求めて断食し、ファリサイ派は、悔い改めと神への謙遜の表現として断食しました。けれども、イエスが開口一番宣言されたことは、「神が王として私たちを完全なご支配の中において下さるその時が私において来た」、いや「その贖いのときは私において既にここに来ている」ということです。平たく言いますと、神と断絶関係にあった時代に、神からの一方的関係回復の平和(シャローム)が来た、というのです。それがイエスの言う「婚礼」でありました。婚礼とはめでたい席であり、断食などとは無縁の世界です。しかも、ユダヤでは、婚礼のときは、ミュージシャンなども雇い、大変にぎやかに祝宴を開くのですから、断食などできるはずもありません。必要ないのです。

 イエスの到来によって運ばれてきた福音は、希望がぎっしり詰まっています。神の霊の命がたぎりにたぎっています。そこからあふれ出る「神の息」に触れる時、私たちは新しい命を経験し、論理では説明しきれない不動の喜びに圧倒されてしまうのです。新しい命を経験するということは、聖人のようになることではありません。新生の体験とは、そのままの姿で、新しい人に昇華させられるという逆説の出来事に他なりません。
 また、それとは別の次元で、或いは、パラレルに、私たちはキリストの似姿へと進行形の成長を始めます。もちろん、キリストの似姿への成長とは、福音派の中でよく聴かれる「勝利ある生活」の自己実現ではありません。救われた時点で、勝利は既にあるのです。イエスの到来によってもたらされる福音とは、遠くに離れている神に近づくが如くの「一生懸命主義=律法主義に基礎付けられた断食的勝利」ではありません。そうではなく、神がイエスにおいて逆に近づいてきてくださったという「婚礼的勝利」なのです。

 もっとも、イエスが言われたように、弟子たちが断食するときが来ます。現実には、食事をする気力を失うほど主の死を悲しみ、自分たちの弱さに打ちひしがれるのですが。いずれにしましても、この短い付け足し句の中に、イエスはその活動の初めから十字架への道をまっしぐらに突き進む、という福音書記者マルコの暗示が見え隠れしています。[9]

 蛇足ですが、イエスが取られる(十字架にかけられる)出来事を覚える受難節には、教派や個人によっては甘いものを控えたり、それこそ日中の食事を控えたりします。私の妻も、学生時代には、受難節にチョコレートを控えていました。もっとも日中だけですが・・・。[10]

III.             布切れ・皮袋のたとえ

だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ(:21-22)。

 さて、イエスはここで新たな喩えを用います。これは既に流布していた諺をイエスが用いたのか、或いはイエスのオリジナルなのかはわかりませんが、イントロでも触れましたように、これは先の喩えとは別に、独立して存在していたと思われます。ただ、マルコがここにぶどう酒の皮袋の喩えを置いたのは、婚礼で供されるぶどう酒を意識してのことかもしれません。
 この二つの話は一見繋げて読みにくいのですが、冒頭でも申しましたように、テーマは共通しています。「旧か新か」です。古い掟にいつまでも留まり続けるのか、新しい掟(福音という恵みの世界)に身を投じるのか。つまり、中途半端な態度に対する警告です。[11] マルコ伝には具体的に語られていませんが、使徒言行録やパウロの書簡などを読みますと、決断できずに煮えきらない態度を取る者たちが多く登場します。
 イエスは言います、「人は新しいものを、古いものの修理に利用することはできないし、これを古い形式にはめる事もできない」。神学的考察以前に、古代人の生活を思わず頭に描きたくなるような生活感溢れる比喩ですが、イエスの指摘はナイフのように鋭利です。旧と新は相容れないのだ!
 では具体的に何が相容れないのでしょうか。それは、@神殿宗教に代表される律法と「風は思いのままに吹く」とイエスが言われた主イエスの躍動感ある福音、A律法に生きる古い生き方と福音に生きるダイナミック生き方、B病気や悪霊憑きを罪の結果とするメタファと病気や悪霊憑きを神の栄光が現れるためという福音宣言。

 イエスにおいて起こった出来事は、古い生き方やどっちつかずのつぎはぎ細工から人を解放します。あらゆる業績主義や似非勝利ある生き方論から、人を根源的に解放してしまうのです。牧師館の古いカーテンレールと新しいカーテンの関係のようなものです。

まとめ

 キリスト教の歴史を紐解きますと、キリスト教会は何度も何度も古いユダヤ神殿宗教と律法主義に戻りそうになりました。その現象は今でも見られます。そこにカトリック、プロテスタントの別はありません。けれども、私たちがしかと知らなければならないことは、イエスの福音はそのような業績主義や古い皮袋にはない、ということです。




[1] ファリサイ派は律法学者を除いて、通常弟子はとらなかったので、この「弟子たち」はファリサイ的教え、生き方に共鳴する人々と思われる。
[2] Fastingはbreakfast(朝食)という言葉にも入り込んでいる(「眠っている間に断っていた断食を破る」という意味)。
[3] William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament:
The Gospel of Mark, の註56参照.
[4] Laneの註解書に詳述されていますので、興味のある方はWilliam L. Lane, The
New International Commentary on the New Testament: The Gospel of Mark, 108の註をご参照ください。
[5] R. Alan Cole, Tyndale New Testament Commentaries: Mark, 125.
[6] ヨハネによる福音書には、「ヨハネの弟子が二人、イエスに追従したと言う記述」がありますが、その内にひとりはシモン・ペトロの兄弟アンデレでした。
[7] William L. Lane, The New International Commentary on the New Testament:
The Gospel of Mark, 109参照
[8] R. Alan Cole, Tyndale New Testament Commentaries: Mark, 125.
[9] 川島貞雄『マルコによる福音書』教文館、89.
[10] 祈願を立てるような断食は、新約聖書の教会でも実践され、それにレント的要素を加えた断食は一世紀の教会にも受け継がれた。
[11] E. シュヴァイツァー『マルコ』87(NTD).