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2006/08/20 「巡回治癒神」―戦うキリスト―」  マルコによる福音書1:21-39 吉良 賢一郎

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネによる福音書1:1-5)

序論

 ウイリアム・バークレーの著作に「戦うキリスト」という有名な本があります。これは、イエスの生涯を、『戦い』(葛藤、相克、対決)という視点から描いたもので、ユダヤ人コミュニティーの中におけるイエスの直面した問題、そこから起こったさまざまな対決を知るのに大変役に立ちます。その中には、私たちが先々週学びました「メタファ」(宗教的既成概念、通念)と戦うイエスの姿も描かれています。
 けれども、イエスの「戦い」に焦点を当てたバークレーの本を持ち出すまでもなく、福音書自体が、戦うキリストの像を全面的に提示しています。病気のメタファに対する戦い、悪霊憑きのメタファに対する戦い、この世の支配権力に対する戦い、そして悪の力の支配に対する戦いです。これらに加えて、マルコ福音書は、イエス・キリストの権威を強調しつつ、イエスはあらゆる困窮を救うために臨む方であり、その働きはすべてに及ぶということを全面的に押し出します。
 今朝の聖書個所はそのようなイエスの出発点とも言える個所です。しばらくの間、共に聖書を学びましょう。

I.                  病人たちの訪問を受けるイエスの戦い

 この物語は、ペトロの姑を癒した後の出来事です。福音書によりますと、時は夕暮れ、日が沈みこんだ後に、「人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た」とあります。福音書は「皆」記していますが、これは誇張ではないでしょう。もちろん、全員が全員連れてこられたわけではないでしょうが、大勢の人たちがイエスの元にどっと押し寄せたのは事実かと思います。そして、弟子たちには、その光景があたかも町の病人や悪霊に取りつかれた者皆が連れてこられたよう、に映ったのでした。
 ところで、ここで注目したい一言があります。「夕方になって日が沈むと・・・」という表現です。なぜ、マルコはわざわざ「日が沈んでから…」と但し書きしているのでしょうか。1章21節に「一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた」とあります。実は、この日は安息日でした。ペトロの姑の癒しも、その前に悪霊祓いも、みなこの安息日に行われたのでした。
 この前も触れましたが、安息日とは金曜の日没から土曜の日没までを指します。旧約聖書では、この安息日の特質とその守り方をいくつもの個所で説いています。いくつかピックアップしますと、例えば、

「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト20:8)。
「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である」(出エジプト20:10)。
「あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである」(出エジプト31:13)。
「安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる」(出エジプト13:14)。
「六日の間は仕事をすることができるが、第七日はあなたたちにとって聖なる日であり、主の最も厳かな安息日である。その日に仕事をする者はすべて死刑に処せられる」(出エジプト35:2)。
またイザヤ書では、「安息日に歩き回ることをやめ/わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ/安息日を喜びの日と呼び/主の聖日を尊ぶべき日と呼び/これを尊び、旅をするのをやめ/したいことをし続けず、取り引きを慎むなら・・・」(イザヤ58:13)とあります。

他にも、言及されている個所は多々あり、ネヘミヤ記などでは、安息日に神殿で商売を始めた人たちに対する非難などもありますが、見てきた通り、旧約聖書では基本的に、安息日を神の業を覚える休息の日と定義されています。
 けれども新約時代に入りますと、律法学者、ファリサイ派によって、聖書で厳密に定義されていないことまでガチガチに規定される事態が生じました。たとえば、1キロ以上の徒歩や落穂拾い、悪魔祓いや病気癒しまでが、「労働」と解釈されてしまったのでした。唯一の例外は、かかる人の命が危険に晒されている時だけです。ファリサイ派らのこのような律法主義に対して、イエスは皮肉の込められた例話で対決しています。

マタイ12:10-13「すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、『安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか』と尋ねた。そこで、イエスは言われた。『あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。』そしてその人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。

ルカ13:10-16 「安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。『働くべき 日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。』しかし、主は彼に答えて言われた。『偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。』」

マルコ2:23「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、『御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか』と言った。イエスは言われた。『ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。』そして更に言われた。『安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。』」

 聖書から多く引用しましたが、このような安息日規定が念頭にありましたから、人々は日が沈んでから、つまり安息日が終わってから、イエスのもとにやってきたのでした。ここにイエスの二つの戦いの構図があります。ひとつは、実はイエスはこの日に既に二回奇跡を行っていると言うこと、もうひとつは、悪霊憑きの現象が精神疾患だったのか文字通りのものだったのかは問わないとして、肉体的病も含めて、「罪」というメタファでがんじがらめにされていた人たちをイエスが真正面から受け止め、そのメタファの苦しみから解放されたと言うことです。しかも、ファリサイ派が主張した「誰々先生」の権威でではなく、神からの権威によってです。イエスの権威は悪霊が発した一言からも明らかです。「お前が誰だか知っている。神の聖者だ!」。ペトロは霊の心でいみじくも告白しました。「あなたはいける神の子、キリストです」。

II.                  静かな場所で祈られるイエス――静粛からの戦い

 次に、沈黙の中で祈られるイエスの中に見ることのできる「戦う姿」を見てみましょう。

1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

イエスが人を避けて祈られたことについては、他の個所でも繰り返し報告されています。「群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた」(マタイ14:23)。「イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた」(ルカ6:12)。イエスは、このように、ことあるごとに静粛の中でひとりで祈ったのでした。
 イエスの活動を見ますとき、祈りが主にとっていかに重要なものであったかが分かります。主は祈ることによって、奉仕が過度の多忙から妨げられ、沈黙の中で、神の贖いの業のために祈り、ご自身に与えられた使命に思いを馳せ、その都度それを確認することができました。また、祈るために姿を消すことは、感動して賞賛はするがイエスのみ後に従おうとしない人々から身を隠す意味もありました。イエスの奇跡が、約束のメシアであることの証であること、また、メタファによってがんじがらめにされている人たちの解放を意味していることを理解できなかった人たちからです。この無理解者たちの中には、ペトロと彼を取り巻く人々も入っていたようなきらいがあります。1:36-37「シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、『みんなが捜しています』と言った。」 彼らは静粛の中で祈るために身を隠されたイエスを探し、イエスにしてみれば「烏合の衆」が探しています、とわざわざ伝えに来たのです。ここにペトロや他の弟子たちの無理解を見て取ることができます。

 けれども、無理解続きのペトロのために、主イエスが祈っていた、という記述がルカ伝にあります。この時からイエスはペトロを初めとした弟子たちのトためにも祈っていたに違いありません。イエスは後にこのようなことを言われます。ルカ22:31-32「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 さて、イエスの祈りに関して考えますと、ここから二つの要素が抽出できます。ひとつは「静粛」、もうひとつは「独りで」です。イエスは人々から離れて静かな場所を求めましたが、それはひとえに神との一対一の対話を持つためでした。皆で祈る公同の祈りも当然ありますが、イエスが求めた神と一対一の対話は、騒音の中でのそれではなく、人々の中でのそれでもなかったのです。沈黙と孤独の中での祈りです。
 翻って考えますと、忙しい現代日本を生きる私たちは、静粛な時間、ひとりの時間というものを中々持てません。けれども、沈黙と孤独の中で神と語らうことは、私たちの求道生活の中で重要な位置を占めているという事実だけは知っておきたいものです。そして、そのような神との語らいの時をより多く持てれば、と日々祈らずにはおれません。

V.                  ガリラヤの全地方へ出て行かれる戦うキリスト

 最後に、ガリラヤの全地方へ出て行かれる、巡回治癒神、戦うキリストの姿を見て観て、話を閉じましょう。
 イエスがひとりで祈っていた時、弟子たちはイエスの後を追い、祈りを邪魔します。「ラビ、みんなあなたのことを探しています!」。けれども、主はこの完全に的を外したペトロの問いかけには答えず、「やれやれ」と思ったかどうかはわかりませんが、「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」(:38)と答えました。「人々があなたを必要といるのにこんなところで何をしているのですか」と言わんばかりのペトロたち、カファルナウム―自分たちの町―に引き留めようとする者たちに対する、イエスの静かながら激しい宣言です。この答えの中に、弟子たちのイエスという人物、この人物によってこれからますます力強く前進する神の国運動、神の国伝道の本質に対する著しく誤った理解が映し出されています。イエスの奇跡は、人々の興味をそそるものだけであってはならなかったのに、です。
 イエスの奇跡は、メタファからの解放を経験した人と同様、それを目撃、体験した者に、ひとつの決断を迫ります。イエスをキリスト(救い主)と告白し、罪を悔い改め、主の御後に付き従うのか従わないのか。その決断如何によって、かかる人が神の国に相応しいかが問われました。けれども、マタイの記述から察しますと、カファルナウムの人たちは奇跡のパフォーマーとしてのイエスには感動しても、それ以上の悔い改めや戦う
救い主の姿には思いが至らなかったようです。ですからイエスは言うのです。「他の村にも行こう。そこで私は宣教する。」 主イエスの運動は福音を述べ伝える(説教する)ことに収斂しました。奇跡も、人々をメタファから解放し、目撃者を悔い改めに導く福音という手段に過ぎなかったのです。
 39節にその予告版がありますように――ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された――巡回治癒神はこれからますます広くガリラヤ全土に活動の場を広げ、神の国を述べ伝えます。そして、マルコは福音を述べ伝えるこの巡回治癒神イエスが何を癒すために来られたのかを、章を追うごとに、戦うキリストのイメージと共に、益々明らかにしていくのです。


結び

 今朝は、カファルナウムでの最後の出来事を通して、これから益々活発になるイエスの巡回治癒活動の本質(つまり、メタファからの解放と悔い改めへの招き)を戦うキリストの姿の中から学びました。カファルナウムの人々は、イエスを自分たちのところに連れ戻そうとしましたが、私たちは、この戦うキリストの後に、「悔い改め」と「イエスはキリストである」という告白を携えて、付き従っていきたく思います。神と一対一の対
話をしながら。