:31 それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。:32 人々は耳が聞こ
えず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。:33 そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指を
その両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。:34 そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言わ
れた。これは、「開け」という意味である。:35 すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。:36 イ
エスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますま
す言い広めた。:37 そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の
利けない人を話せるようにしてくださる。」
イントロ
カナダはサスカッチュワン州北部のクリー族居留区に滞在しておりました折、お隣のお母さんはいわゆる聾唖者でした。この方とのコミュニケー
ションには、英語速記術、クリー語発話力というハードルの上に更に英語手話の運用能力を要求されましたから、私が知っている唯一の英語手話
“Good evening” の挨拶以外は、ほとんど相互理解を図ることができませんでした。もっとも、身振り手振りだけは大げさな私の「クレイジー
さ」は伝わったかもしれません。
ちなみに「聾唖」の「唖」は、喋れない事を意味します。一昔前まで、聴覚障碍者が音声言語を獲得することが不可能だったため、古代パレスチ
ナでもこのような「非聴力」即「非発話力」という命題が成り立っていたのでしょう。しかし現在は、早期訓練、口話法、高性能の補聴器着用など
によって、訓練すればある程度は喋れるようになるようです。
さて、聾唖の更なる情報は、聾学校で教鞭を取っておられる小野キリストの教会牧師、澤浩士さんに譲るとして、今朝は福音書に登場する聾唖者
とその男を奇妙な方法で癒すイエスを観てみましょう。
I. 異邦人伝道の余韻
物語は異邦人の土地に立ち寄ったイエスが「ティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた」
(:31)というマルコのナレーションで始まります。
当時のパレスチナの地図を見ないで読みますと、ついそのまま読み進んでしまいますが、よくよく考えますと何とも不思議な叙述です。新共同訳
聖書の付録・聖書地図6「新約時代のパレスチナ」をご覧下さい。ティルス地方を去り、35キロメートルほど北上してサレプタを通過しシドンに、
そこから進路を南東に急旋回しガリラヤ湖へやってきた、とマルコは報告するのです。6章ではベトサイダ周辺からガリラヤ湖を船で横切り、向こ
う岸のゲネサレト(一般にガリラヤ湖の北西岸の低地エル・メジデルの付近から北に延びるグーエールと呼ばれる平原を指す[『新聖書辞典』いの
ちのことば社])に上陸した、とう記述がありますから(6:45)、大方同じルートを通ってガリラヤ湖に戻られたのかもしれませんが、いずれにし
ても奇異な遠回りです[1]。しかもギリシア語原文は、フランスシコ会訳や岩波訳のように「イエスはティルスを去り、シドンを経てガリラヤ湖に
戻り、デカポリス地方の真ん中に来た」とも訳せますから、こうなりますと地理的に全く異様と言う他ありません[2]。このルートが如何に不可能
であるかを、エドゥルアルド・シュヴァイツァーというドイツ人の聖書解釈者は自分の住んでいるドイツの地理を例に挙げながらユニークに紹介し
ています。曰く「ダルムシュタットからフランクフルトを超え、ネッカー河の谷を経てマンハイムに至る[3]。」 面白いですね。日本語翻訳者の
高橋三郎さんはドイツの地理に詳しくない読者のためにシュヴァイツァーの例えに対比させて、日本の例で補足説明をしてくれています。これもユ
ニークです。「小田原から出て東京を超え、信濃川の谷を通過し琵琶湖に至る[4]。」
このルートの不自然さは福音書記者マルコも気付いていたでしょう。けれども、フランシコス会訳や岩波訳のように解釈して、細かいことには無
頓着なマルコのキャラクターを重ね合わせれば、マルコの主張が垣間見えます。それはイエスの異邦人伝道はティルスでは終了せず、ヨルダン川の
東に位置する「異邦人の住むデカポリス地方のガリラヤ湖畔で聾唖者を癒した」と言うことです[5]。デカポリス(「十の町」の意)はパレスチナ
におけるギリシア植民地の10都市から成っており[6]、アレクサンドロス大王の後継者たちによって建てられたギリシア文化花咲く植民都市です
が、かつてはユダヤ人の支配する町でした。
II. 聾唖者へのイエスの嘆息
さて、イエスが出会われた聾唖者に焦点を当ててみましょう。マルコお決まりの構成ですがなかなかユニークなエピソードです[7]。
人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。(:32)
彼がユダヤ人なのか異邦人なのかは明示されていません。ですが、32節のマルコのナレーションで預言書に精通していたユダヤ教の読者はピンと
その趣旨を読み取ったはずです。イザヤ書35章の言葉。
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ/大いに喜んで、声をあげよ。…人々は
主の栄光と我らの神の輝きを見る。…神は来て、あなたたちを救われる。そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。そのとき/
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり/
乾いた地は水の湧くところとなる。…そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ…主御自身がその民に先立って歩まれ…解き放たれた人々
がそこを進み主に贖われた人々は帰って来る。…喜びと楽しみが彼らを迎え/嘆きと悲しみは逃げ去る。(イザヤ書35:1-10抜粋)
「『神は来て、あなたたちを救われる。』そのとき…聞こえない人の耳が開く。その時…口の利けなかった人が喜び歌う。」 福音書の読者は、
バビロン捕囚の民が聴いたイザヤの福音宣言と同じ福音をここで期待します。南ユダ王国の民が経験した「解放」がここでも成就するのを期待しま
す。ユダヤ教の教条主義(メタファ)でがんじがらめにされていた人の、しかも「ヨルダン川の向こう側」に住む人の、「雪のように白くして下さ
い」という嘆願が聴き入れられることを期待したのです。ヨルダン川の向こう側(東側)…「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダ
ン川のかなたの地…暗闇…死の陰の地…」(マタイ福音書4:15-16抜粋)[8]に住む人の解放を…。この男性がユダヤ人であるか否かはもはや問題で
はありません。イエスの福音がギリシア人植民都市郡デカポリスでも届けられるべき人に届けられたのかどうか。それがマルコの興味であり、読者
たちが期待したことでしょう。
果たして、福音はこのヨルダン川の東に住む男に届けられました。
「…湖沿いの道…ヨルダン川のかなたの地…暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ福音書4:15-16抜
粋)
そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深
く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解
け、はっきり話すことができるようになった。(:33-35)
イエスは文字通り手を当てて病を手当てします。しかも、ファリサイ派の前で明確な目的を持ってこれ見よがしに行う奇跡行為とは違い、この人だ
けを群衆から引き離して「密かな治癒」を行うのです。
それにしてもイエスは奇妙な治療を行われたものです。読者は「解放の福音」がこの男に成就したことを大いに喜んだでしょうが、治癒方法につ
いてはどのような印象を持ったでしょうか。古代人の読者ですから古代風の「手当」には別段驚きもしなかったでしょうか。真相は分かりません。
けれども、現代人の私には「ヤッター」と喜ぶ前に、首をかしげさせる方法です。これは「メシアのしるしとして一般に知られていた所作」であ
る、と言ってしまえばそれまでなのですが[9]、他に何か意味はないのでしょうか。天を見上げて「嘆息する」というイエスのジェスチャーやイエ
スの生の言葉であろう「エッファタ」(開け)というアラム語まで登場します。イエスが死んだ少女を蘇らせた時にもイエスが呟かれた「タリタク
ム」というアラム語が紹介されました。アラム語のサウンドを読んだマルコ福音書の読者は多少マジカルな印象を受けたはずなのですが…。実際
「舌のもつれが解け」(:35)とあたかも唖(発話障碍)の悪霊がこの男に憑りついていた印象も与えますし[10]。
と、こんなことを考えながら福音書のギリシア語原典を再度眺めていましたら、イエスに癒しを懇願する箇所の「懇願する」(パラカロー[11])
を表す人称接尾辞が三人称複数形(パラカルースィン)であることに「エッファタ」開かれたのでした! もっとも、偉そうなことを言っています
が、日本語訳聖書をちゃんと読んでいれば当然分かることです。つまり、この聾唖者が友人たちによってイエスのところに連れて来られ、友人たち
によって癒しの懇願がなされたのは、この人は耳が聞こえず、分かる言葉で喋ることができなかったからに他なりません。そんな男にイエスは言葉
の代わりに身振り手振りという身体的アクションでもって臨まれたのでした。「男の両耳に指を突っ込み」「自分の唾を指に付けながら男の舌を
触った」。マルコ福音書8:23の「イエスは盲人の手を取って…その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて…」もヨハネ福音書9:6の「イエスは
地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった」も基本的には同じ理由でしょう。
結び
これも毎度のことながら、癒された人は驚嘆と嬉しさのあまり、この出来事を人々に伝えずにはおれません。「イエスは人々に、だれにもこのこ
とを話してはいけない、と口止めをされた」のですが、恐らく、生れてからこの時までずっと「罪人」のレッテルを張られ、ユダヤ宗教世界の「穢
れ」のメタファでがんじがらめにされ、アウトカースト的生活を強いられてきた男性です。イザヤが宣言した「解放」が我が身にも起こったこと
に、「罪からの赦しの宣言」がメシアから声高らかに語られ天にこだましたことに、この男性が沈黙を守ることができるわけはありませんでした。
何よりも、「神の言葉に聴く耳」と「神の御業を語る言」が与えられたのですから。
イエスへの「信」で聾唖の男性をイエスのもとに連れてきた友人たちも、癒しの証人になった民衆たちも、「とてつもなく仰天して」(岩波・佐
藤研訳)(:37)黙っていることはできません。みんな「イエスが口止めをされればされるほど」神を讃美せずにはおれなかったのです。しかも、
一過的に驚いて神を「讃美した」(アオリスト)のではなく、神を「讃美し続けた」(未完了)のです。「この方のなさったことはすべて、すばら
しい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(:35-37)。
驚いた人々の中にはイエスをヘレニズム世界の宗教的治癒者としか見なかった者もいたでしょう。けれども銘記したいことは、この出来事は正統
派ユダヤ人が蔑視していたデカポリスでなされたと言うことです。「後の者が先になり、先の者が後になる」という真実が、ヨルダン川の向こう
側、悲しみの地で実践され、成就したということです。
我が国にとっては鎮魂の8月です。ヨーロッパ人が命名した「極東」という悲しげな地域名を甘受して、ヨルダン川の東側、デカポリスの男の歓
喜を、蝉時雨の中に聴きこうではありませんか。
[1] フランシスコ会訳では「ガリラヤの湖の方にもどり」と解釈して翻訳しています。
[2] 前者の理解を採用するのは英語訳ではNIVやNRSV、後者はTEV。
[3] E. シュヴァイツァー『NTDマルコ』208。
[4] Ibid., 208.
[5] 川島貞雄『マルコによる福音書』(教文館)132。
[6] 一世紀のプリニウスによると、ダマスカス、フィラデルフィア(現アンマン)、ラファナ、スキトポリス、ガダラ、ヒッポス、ディウム、ペ
ラ、ゲラサ、カナタの十都市。紀元前63年にポンペイウス率いるローマ軍によりユダヤ人支配から解放され、免税特権が付与され、自治、通商のた
め同盟を結んで、シリヤ総督の支配下に置かれた。
[7] 全体のモチーフとしては、川島貞雄が明瞭に描き出している通り、マルコお決まりの(1)「奇跡行為者と病人の出会い」(2)「治癒の懇願」
(3)「公衆の締め出し」(4)「治療の所作」(5)「奇跡を行う前の精神的高揚」(6)「治癒の言葉」(7)「治癒の確証」(8)「奇跡について
の秘密保持の命令」(9)「人々の驚き」(川島貞雄『マルコによる福音書』[教文館]133)。
[8] イザヤ書を引用するイエスは、直接的にはガリラヤを指していますが、イザヤ書該当箇所の文脈からデカポリスも含めることもできると解し
て、マタイ福音書4:15-16を抜粋引用しました。
[9] 『フランシスコ会訳』141注10参照
[10] マルコ福音書におけるイエスは福音書前半部において一貫して悪霊付きを癒していることから、W. レインは、「舌のもつれが解け」という表
現を悪霊祓いの結果を示唆するもの、として注解している(William L. Lane, The New International Commentary on The New Testament: The
Gospel of Mark, 267)。
[11] 現代ギリシア語では日本語の「どういたしまして」や英語の “please” に相当する言葉として用いられている。
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