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2010/9/19  「見えるまで徹底的に」 マルコによる福音書 8:22-26

:22 一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。:23 イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。:24 すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」:25 そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。:26 イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。


イントロ

イエス一行はダルマヌタから船でガリラヤ湖を西北方向に横切り、ベトサイダに到着します[1]。ベトサイダは「漁師の家」という意味のアラム語を音訳した地名ですが、イエスの時代も漁師町でした。事実、イエスの最初の弟子となったアンデレ、ペトロ、フィリポはこのベトサイダ出身で、皆漁師です(ヨハネ1:44、12:21)。
ちなみに、ベトサイダが漁村とも言うべき田舎の村だったのか、それなりの規模の町であったのか意見の分かれるところです[2]。今日のベトサイダ遺跡の上空写真を見ますと辺鄙な村のような印象も受けますが[3]、新約時代、ベトサイダの比較的近くで五千人の給食が行われたこと(マルコ6:45、ルカ9:10;マタイ14:13、ヨハネ6:1参照)、ヘロデ大王の息子の一人、ヘロデ・フィリポがベトサイダを村から町の規模に再建したことを考慮すれば(『ユダヤ古代史』18.28)、サイズは村よりはむしろ町と考えた方が自然でしょうか。[4]
ともあれ、エルサレムのユダヤ人からは穢れている(ギリシア的色彩を色濃く残し、ユダヤ人と異邦人が共存していた町)と蔑視されていたガリラヤ地方のベトサイダにイエスは再びやってきたのでした。


I.                  盲人のエクソドス(脱出)

物語はいつものように始まります――人々がイエスのところに病を負っている人を連れてきた。

:22 一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。

今回は盲人です。話は唐突に始まりますので、この盲人にイエスへの信仰があったのか、或いは彼をイエスの元に連れてきた人たちに信仰があったのか、詳細は分かりません。けれども、マルコはこれまでに、致命的なほどに無理解なイエスの弟子たち、イエスの中に神の手を見ることのできない不信仰なファイリサイ派たちを描いてきましたから、ある種のコントラストとして盲人が取り上げられていることは明確です。
この人は数人の人々によってイエスのところに連れて来られたとありますように、自力では生きることのできなかった人です。己の外に頼るべき存在を必要としていた人だったのです。しかしながら、当時のパレスチナは彼のような身体的ハンデを負っている人々に優しい社会ではありませんでした。それは社会福祉のインフラ未整備と言う次元のお話ではありません。そうではなく、彼らに「罪人」のレッテルを貼り付け、人としての尊厳を神の名において奪い、抹殺してしまう社会だったのです。とりわけファリサイ派やサドカイ派がこのような障碍者に対して最も冷淡であったのは何度も見てきた通りです。本来であれば神の国の僕、神の教えの擁護者であるはずの宗教指導者が、愛情と憐みを注ぐべき人々に対して冷淡で辛辣な態度しかとることができなかった……。このエピソードの直前に描かれている異邦人の女性の信仰やデカポリスでの聾唖者の癒しは、宗教指導者たちの的を外したあり様をひときわ浮き立たせます。

そんな殺伐とした社会にあって、本日のエピソードは何とも心温まる逸話ではありませんか。イエスに癒しを願い出たのは盲人その人ではなく、彼をイエスの元に連れてきた人々だったのです。彼らは、助けなしには生きることのできなかった盲目の人の手となり、足となり、口となり、彼の願いをイエスに熱烈に代弁しました。
そんな熱い思いをイエスが無視するわけがありません。主はデカポリスの聾唖者の時と同じように、盲人を人々の中から連れ出し、治癒行為を行います。主自ら、死のメタファでがんじがらめにされている世界から連れて来られた彼の手を取って、命の世界に連れ出すのです。主が辛辣な言葉を浴びせかけた死の世界、ベトサイダから。

「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。」(マタイ11:21)。


II.                  ベトサイダの盲目

主の奇跡は見る目のない者には開示されません。イエスの中に神を見る眼差しを欠いた者には奇跡を見ること自体がそれを否定させるのです。その否定の中には、奇跡は奇跡のためになされるのではないことを認めない、イエスの中にスーパーマンを求める姿勢も含まれるでしょう。ベトサイダがどのような町であったかを思い起こせば、イエスの行動の意味が良く分かります。預言者たちよって不信仰な町としてやり玉に挙げられているティルスとシドン(イザヤ書23章、エゼキエル書26章から28章、ゼカリヤ書9:2-4)以上に不信仰なベトサイダ――イエスはこの町で盲人を癒し、この町の近郊で五千人への給食奇跡を行われたのに、人々は信仰に呼び起こされるどころか、イエスへの不信を一層深めてしまいました。
このような姿勢の背後には悪の勢力、サタンがいる、というのが福音書の立場です。サタンは荒野でイエスに、「本当は出来ること」(マタイ4章参照)をするように促しました。手っ取り早いと言えばそれが一番手っ取り早いのです。民衆はそれを見て感嘆したでしょうし、イエスは間違いなく自らの栄光を打ち立てることができたでしょう。けれども、それでは目的は達せられません。神の子が称賛されては父なる神に人々の眼差しは向かず、神の子が称賛されては十字架も、復活もないのです。ですから、主の癒しは「秘匿」された形で行われたのでした。

:23a イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し[た]


III.                  見えるまで徹底的に!

23b その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。:24 すると、盲人は見えるようになって[5]、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」:25 そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。

デカポリスの聾唖者を癒した時と同じく、イエスは盲人の身体の感覚に訴えて治癒行為を行います。「その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて。」 このようなジェスチャーをなすひとつの理由は、単純に彼が盲目であったと言うことでしょう。目の見えない人にとって接触による感覚は大変重要でした。私の友人に全盲のピアニストがいますが、彼も私と会う時、必ず私の顔を撫で、感覚を確かめながら「よう、元気か」と声をかけてきます。もう一つの理由は、デカポリスでの聾唖者の癒し物語の時にも触れましたが、そのようなジェスチャーが当時のユダヤ社会においてメシアとして一般に知られていた所作であったと言うことです。

それにしても今回の癒し物語は際立っています。これまでの主は一度のアクションで病める者を癒してきました。けれども今回は二度手を置いて、段階的に癒されるのです。このエピソードの他には福音書で同様のケースはありません[6]。
これは何を意味しているのでしょうか。古代人の所作に過ぎないのか、急に見て目が痛まないようにとの医学的な配慮だったのか[7]、癒すには難しい病だったのか[8]、この奇跡が如何に大きなものであったかを描こうとしているのか[9]、真相は分かりません。或いは、ある人はこう考えるでしょうか。盲人の癒しは彼の信仰の度合いと比例して進行した[10]、と。それらしい意見ですが、これでは癒しの主体が人の信仰の純度(委ねることとは異なる)に左右されることになってしまいます。信仰はイエスの力をひたすら受動的に受け入れて信頼するもので、イエスに「信」を置くか「不信」を置くかの質的分かれ目しかありません。
いずれにしろ、この人はイエスの二度にわたる徹底した「手当」によって見えるようになりました。主は癒しの業を途中で止めることはなさらなかった。見えるようになるまで癒されたのです。遠くまではっきりと見えるまでに(エネヴレペン ティラヴゴス)。盲人であることが罪の結果であると断定、断罪されたユダヤの凝り固まった律法主義宗教社会において、この人の人間存在が回復されるまで、今までの人生の痛み、破れが全て癒されるまで、とことん癒されたのです。視力喪失の苦痛に輪をかけて、「お前は神から見捨てられている」というレッテル張りの苦しみを味合わされていたこの男の存在回復を徹底的に!
視力が回復する過程で、彼は「人が木のように見える」「歩いているのが分かる」と言いました。このコメントは、「見える」という現象を彼が知っていたことを裏付けます。つまり、いつ視力を失ったのかは分かりませんが、彼には元々視力があったのです。ある時、生まれつきの盲人を見た弟子たちは「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(ヨハネ9:2b)と発言しましたが、認識能力が確立した後に盲目になった人の病がどのようなメッセージ(メタファ)を周囲に発していたか……。「私はたぶん神に対して罪を犯しました。しかも何らかの大きな罪です。その罪の罰が視力の喪失です!」
律法主義においては、この人の内面がどうであろうがそんなものは考慮されません。ユダヤ社会の宗教的メタファは、人を生きながらに殺してしまうような血の通わないものだったのです。主がなぜあれほどまでに憤ったのかよく分かりますでしょう。
繰り返しになりますが、この盲人は癒されました。何でもはっきりと見えるまでに癒されたのです。その目の前には笑顔の主がいました。曇りなく、主の笑顔を垣間見ることができたのです。彼の喜びがどれほどであったか、彼はイエスの眼の中に何を見たか……敢えて言葉にする必要はありますまい。

イエスの癒しへの執念は、やがて弟子たちの霊的盲目をも癒すことになることを心に留めるならば、この不思議な手当は弟子たちのためのものであったのかもしれません[11]。主は何度も何度も「まだ見えぬか、まだ分からぬか」と弟子たちの心眼の盲目に忍耐強く臨み続けられたのです。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」(使徒パウロの言葉:フィリピの信徒への手紙1:6)。


結び

癒しのエピソードは癒された男性への禁止の言葉をもって終わります。

:26 イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。

毎度の「公衆の騒ぎ」から神の業を守ること、神の子が奇跡のパフォーマーに祭り上げられないことが目的でしょうが、きつい禁止の言葉です。この男性の家は村の外にあったような書き方がされていますが、癒しの現場は村の中でした。イエスが人々の不信仰を嘆き、辛辣な言葉を浴びせかけたあのベトサイダです。

ともあれ、イエスの弟子たちも漸く、おぼろげながらもイエスと言うお方を理解する道を歩み始めました。ベトサイダの盲人治癒の出来事がひとつの決定的節目となり、ペトロは信仰告白の第一歩に導かれるのです。「主よ、見えます!」とはいかなくとも、「主よ、何となく見え始めました」という理解の段階に。私たちの信仰の歩みのようではありませんか。
本来であればベトサイダの人々に一番に思い起こしてほしい言葉ですが、弟子たちの心にはよぎったかしらん、と想像しながら、詩編の朗読を持って奨励を閉じましょう。

天地を造り
海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は虐げられている人のために裁きをし
飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
主は見えない人の目を開き
主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し主は寄留の民を守り
みなしごとやもめを励まされる。
(詩編146:6-9a)


[1] 「ヨルダン川がガリラヤ湖に流れ込む河口の東岸を北に1.5キロほど入った地点に現在エッ・テルと呼ばれる古跡があり、一般にこれがベトサイダと同定される。ヘロデ大王の子フィリポが再興し(ルカ3:1参照)、皇帝アウグストゥスの娘ユリアにちなんでベトサイダ・ユリアスと呼んだ町である。今日では高さが30メートルほどの小丘に古代の建築に用いられたと思われる石の破片が散見される。他方、その近隣でもっと湖岸近くに別のベトサイダがあったと主張する説、あるいはヨルダン川東岸ではガリラヤの町とは呼べないなどの理由からゲネサレ湖[ガリラヤ湖]西岸のアイン・エト・タビハと同定する見解もある。しかし,ユリアスがヨルダン川の両岸にまたがって存在した可能性なども含めて、伝統的な見解が最も妥当と思われる。」(用語を部分的に新共同訳に変更し、『新聖書事典』[いのちのことば社])より引用)。
[2] マルコ8:23では「村」(コミ)、ルカ9:10では「町」(ポリス)だが、上記の推定では町となる。
[3] John Bowker, photography by Sonia Halliday and Bryan Knox. Discover the Great Sites of History from the Air: Aerial Atlas of the Holy Land (Buffalo: Firefly Books, 2008), 57.
[4] マルコの「コミ」「ポリス」の用法に関して、田川は詳細な解説を施している(田川建三『新約聖書 訳と注1』、285-286)。
[5] 大方の英語訳聖書は「アナブレポ」のもう一つの意味、「見上げて」(look up)を採用している。
[6] マルコのこの知識が、師匠であるペトロの証言に依拠していることの証左か(R. Alan Cole. T yndale New Testament Commentaries: Mark 199参照)。
[7] 杉山世民『マルコによる福音書講義録』(1993)。
[8] 「魔術の方法を記した古代のパピルスにおいても、むずかしい治療は段階的に行われている」(川島貞雄『マルコによる福音書』(教文館)、141)。
[9] E. シュヴァイツァー『NTDマルコ』、222。
[10] コールは盲人の信仰の不十分さを、最初の手当の後のイエスの言葉「何か見えるか」に読み込むが(R. Alan Cole. T yndale New Testament Commentaries: Mark. 200)、信仰の本質という観点から的を外していると思われる。
[11] Ibid., 199参照