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2011/04/17   (棕櫚の日曜日)  「びっくりドンキー」  ――イエスのエルサレム入城
―― マタイによる福音書 21:1-11

イントロ

 本日は西方教会のグレゴリウス暦のみならず、東方正教会のユリウス暦でも「棕櫚の日曜日」([英]The Palm Sunday)と呼ばれる日です[1]。棕櫚の日曜日は受難節最後の主 日、そして受難週最初の日。週報に棕櫚の日曜日に関する豆知識を記しましたので、後ほどご覧ください。また、受難週につい
ても別紙で短く説明しています。

 さて、「びっくりドンキー」というレストランをご存知でしょうか。びっくりドンキーホームページによりますと、1968年12月岩手県盛岡市に誕生したハンバーガーとサラダの店「べる」がその始まりで、13坪の小ぢんまりとした一号店には、「小さな店であることを恥じることはないよ。その小さなあなたの店に人の心の美しさを一杯に満たそうよ」という言葉が掲げられていた、とあります。13坪から始まったお店は今や全国展開し、洗練されたレストランに変身したようですが、私が高校、大学生の時点では、自然と笑いのこぼれる、文字通り「びっくり」なレストランでした。ホームページにはこのような紹介もあります。「『手作りの温かさを表現したい』という思いで、スタッフ総出で内装を手掛けるようになったのは、この4年後に開店した新店舗から。こうした思いが、店舗ごとに店づくりのテーマを決め、お客様に楽しんでいただける趣向を凝らした現在のびっくりドンキーならではの『独創的な店づくり』に受け継がれています。」 私が時折友人たちと会食したのは千葉県流山市にある南柏店でしたが、内装はまさに独創的そのもの。どこから集めてきたのか、初期型のタイプライターや手動式の足踏みミシンやレトロなやかん等、ごみに近いガラクタが所狭しと並べられていました。
ホームページの店の紹介は続きます。「店づくりだけではなく食づくりへのこだわりが生まれたのもこの頃。」 当時の人気のメニューには「びっくりハンバーグ」や「びっくりコーラ」なんていうものがありました。ご愛嬌程度にびっくりなのではなく、本当にびっくりの大きさ。コーラは申し訳軽度のグラスにではなく、とてつもなく縦長のコッパー製のグラスになみなみ注がれていました。飲み放題のドリンクバーが一般化したせいでしょうか、ホームページに掲載されているメニューにはもはや「びっくりコーラ」を見つけることはできませんでしたが、あのインパクトは決して忘れません。[2]

 このようなどうでもいい話を冒頭でしましたのは、本日の聖書個所を読んでいた時たまたま、懐かしの不思議レストランを思い出したからです。「びっくり」と「ドンキー」…。しょうもない理由ですが、主イエスのエルサレム入場も「びっくり」と「ドンキー」がセットであったであったことを考えますと、多少は聖なるインスピレーション!?を受けたのかもしれません(言い訳です)。ちなみに、「ドンキー」は驢馬の英語です。

I.                  驚き第一弾 ――びっくりドンキー拝借――

:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつ ないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。:3 もし、だれかが何
か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。 すぐ渡してくれる。」

 福音書に書いてあるとは言え、この場面だけを切り取るならば、何とも不思議な情景ではありませんか。常識的には、まず驢馬の持ち主に驢馬の貸与をお願いし、了解を取ってから紐を解くべきところ、弟子たちはおもむろに驢馬に手を伸ばしました。マタイ福音書には記載されていませんが、ルカやマルコ福音書で「なぜ、子驢馬をほどくのか」と驢馬の持ち主が訝しがるのは当然です。

もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。(マルコ11:3-7)

 不思議ですね。弟子たちの行動を見て、持ち主が「その子驢馬を解いてどうするのか」と言うのは当然ですが、「師匠イエスが今必要としているので拝借しますが、後で返しますから」との弟子たちの返答に、驢馬主は具体的な使用目的を何も訊かずに貸してしまいます。イエスはイエスで、借りてきたロバに服を敷いてちゃっかり乗馬ならぬ乗驢馬。貸し手も借り手も使い手も皆頓珍漢な珍妙なシーンです。

 マタイは、「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(:4)と但し書きし、「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」(:5)とゼカリヤ書の言葉を引用しながら、この出来事の必然を強調します。確かに、マタイが引用するゼカリヤ書は、「旧約時代にこの付近で起こった類似の出来事…すなわちソロモンは父ダビデのロバに乗ってケデロンの谷にあるギホンの泉に下り、油を注がれて王となり、歓呼の中をエルサレムに上った[3]」故事を、を思い出させますし、イエスも「驢馬に乗って、ベトファゲから、同じケデロンの谷を渡り、王たるメシアとしてエルサレムに都入り[4]」しました。けれども、この驢馬拝借のエピソードだけを見ますとやはりびっくりせずにはおれないのです。

II.                  驚き第二弾 ――驢馬で参上――

:8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。:9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサ ナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

 福音書の読者は更に二つの点で驚きます。一つは救い主が馬ならぬ驢馬でエルサレムに入城されたこと。もう一つは意外な乗り物に跨って参上したイエスを人々が歓喜して迎えたこと。
兵士でも将校になると騎乗が許されるように、当時、位の高い人は馬に乗るのが常でした。位の高い人物が驢馬に乗ることはまずありません。驢馬は背が低く、足も遅いのです。増してや子驢馬となれば何をか言わんやでしょう。それにもかかわらず主イエスは驢馬を希望さました。ソロモンのエピソードをなぞっているとはいえ、神のメシアが驢馬に跨るというミスマッチをイエスは敢えて選らばれたのです。牧歌的雰囲気は演出できても、権威などはこれっぽっちも生み出さない子驢馬を、風を切って駆け抜ける馬ではなく、時速4キロ程度の鈍足でノロノロ歩く子驢馬を選らばれたのです。
それにもかかわらず人々は歓喜して叫びました
「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(:8b)「ホサナ」というヘブライ語はイエスの時代には歓喜の言葉として定着していましたが、本来は「どうぞ救ってください」という意味の言葉です。イエスのエルサレム入場のプロセスとソロモンの油注ぎの故事のパラレルに気がついた庶民は少なかったと思いますが、ホサナの語源くらいは皆知っていたでしょう。子驢馬に跨る庶民的男に民衆がホサナと叫びながら「どうぞお救い下さい」歓喜する理由は何だったのか。どこからどう見ても偉い先生には見えないイエスの何に、民衆は「救い主」を見たのか。何だったのでしょうか。イエスの力ある業の噂を聞きつけてでしょうか。そうかもしれません。けれども実際彼らの前に現れ、彼らの瞳に映った男には、王のごとき荘厳さはありませんでした。バプテスマのヨハネのような預言者的風貌と威圧感もありませんでした。では、人々は何に歓喜したのでしょうか。想像力を働かせて私たちをこの時の民衆の中に置いてみましょう。
 イエスは馬を駆って砂埃を立てながら私たち庶民の前を駆け抜けては行かなかった。そうではなく、私たちが一緒に歩ける鈍足の子驢馬に乗って民衆と同じスピードで歩かれた。私たちが見上げなければその顔を見ることのできない馬上ではなく、同じ目線でその姿を追うことのできる子驢馬の上におられた。権威に満ちた顔で馬を駆るのではなく、柔和な顔(ゼカリヤ書)でニコニコしながらロバの背に揺られていた。親しみを覚えるではありませんか。こんななりでありながら、宗教指導者たちと渡り合い、彼らの挑戦を論駁し、その言葉には何とも言えない権威があったのです。そして、民衆と語り合う時の言葉には常に優しさがあったのです。民衆が必要としていたのは非の打ちどころのないほど凝り固まった厳格な律法主!
義者や神殿宗教の煌びやかさではありませんでした。彼らが必要としていたものは、優しさであり、温もりであり、人間味であり、神が我々と共におられる(インマヌエル)という福音宣言だったのです。彼らが必要としていた救い主はこのようなお方でした。

もっとも、歓声を上げた人たちの中には怪訝な顔つきで呟いた人たちもいます。恐らく彼らは自らを宗教的正統派と任じていたのでしょう。生活レベルは庶民よりも多少高かったかもしれません。

:10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。:11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエス だ」と言った。

「どんくさい田舎から? 宗教的にも民族的にも異端的あの辺境の地出身? 預言者など未だかつて輩出したことのないあの不毛なガリラヤから? こりゃびっくりだ。しかも子驢馬でお出ましか。びっくりドンキーの茶番劇だ。」 彼らも驚きましたが、否定的に驚いたのです。残念なことに、イエスに対するこの否定的眼差しは、程なくして庶民のものにもなります。「あの子驢馬の上の男は驢馬のように無力であった…。神は共にいなかった…。」

結び

 さて、最後に本当の「びっくり」を指摘して、本日の奨励を閉じましょう。民衆が歓喜しながら叫んだ言葉――ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ――これは詩編118編からの引用です。
 民衆はこの時知っていたでしょうか。詩編118編で何が語られていたかを。この詩編の中に過去の贖い、現在の回復、未来への希望、神の福音宣言がぎっしり詰まっていたことを。彼らは知っていたでしょうか。無理解な彼らにもそれが分かる時が間近に迫っていたことを。驚きの瞬間が間近に迫っていたことを。「びっくりドンキー」の意味が開示されるその時が目前に迫っていたことを。主イエスが十字架にかかり、復活されるためにエルサレムに入城されたことを。彼らは知っていたでしょうか。イエスの歩まれるその道が彼らのためのものであったことを。彼らは知っていたでしょうか。イエスの受難は永遠の今を生きる彼らのため、あなたのため、私のため、東日本の太平洋沿岸、内陸で苦しんでいる人々のためのものであったことを。

恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
イスラエルは言え。慈しみはとこしえに。
アロンの家は言え。慈しみはとこしえに。
主を畏れる人は言え。慈しみはとこしえに。
苦難のはざまから主を呼び求めると/主は答えてわたしを解き放たれた。
主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。
主はわたしの味方…
人間に頼らず、主を避けどころとしよう。君侯に頼らず、主を避けどころとしよう。

激しく攻められて倒れそうになったわたしを/主は助けてくださった。主はわたしの砦、わたしの歌。主はわたしの救いとなってくださった。
御救いを喜び歌う声が主に従う人の天幕に響く。主の右の手は御力を示す。主の右の手は高く上がり/主の右の手は御力を示す。

正義の城門を開け/わたしは入って主に感謝しよう。
これは主の城門/主に従う人々はここを入る。
わたしはあなたに感謝をささげる/あなたは答え、救いを与えてくださった。
家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。
これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。
どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを。
祝福あれ、主の御名によって来る人に。わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。
主こそ神、わたしたちに光をお与えになる方。祭壇の角のところまで/祭りのいけにえを綱でひいて行け。
あなたはわたしの神、あなたに感謝をささげる。わたしの神よ、あなたをあがめる。
恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
(詩編118抜粋)


[1] 来年以降2020年までの東西復活祭のカレンダー
西方教会 東方教会
2012年 4月8日  4月15日 
2013年 3月31日 5月5日
2014年 同日 4月20日
2015年 4月5日 4月12日
2016年 3月27日 5月1日
2017年 同日 4月16日
2018年 4月1日 4月8日
2019年 4月21日 4月28日
2020年 4月12日 4月19日
[2] 「びっくりドンキー」のHPより引用。http://www.bikkuri-donkey.com/history
[3] 『新約聖書 フランシスコ会聖書研究所訳注』77、注1。
[4] 同上