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2011/07/24   「不安社会・不安存在への福音」 ヨハネによる福音書 1:4-9

Yahooのホームページに、供給可能電力に対し、今どれくらいの電力が消費されているかが表示されています。ほぼリアルタイムの情報ですので、多少概算的な数字であるにせよ、参考になります。台風前の猛暑日などは90パーセントを超えていました。

このように日々電力を気にする生活は、高度経済成長期に生まれた私には新しい経験です。今までも無駄に電力を消費していたとは思いませんが、省エネを気にすればいくらでも粗が見えることを考えますと、無駄は多かったのでしょう。コンピューターの電源を入れっぱなしにしていた時が多々ありました。電灯もこまめに消灯していたとは思えません。テレビを消してもサテライトチューナーの電源を切り忘れていた時もありました。冷蔵庫設定温度を気にしたこともありませんでした(これは意外にも低温設定でしたが)。吉良家の節電効果の一つは、節電と号令すれば、子供たちが積極的にテレビを消すことですが、震災以降の習慣です。

ともあれ、今ではそれなりに気をつけながら電気を使うようになりました。その原点はやはり、震災後の計画停電でしょう。電気がないとこれだけ不便なのか、と思い知らされたのです。しかも、夜であれば尚更です。夜間停電の中、外を歩いてみましたが、道路を渡るのにも冷や冷やしました。

もっともリビングルームの明かりには不便はしませんでした。牧師館が教会に隣接していることもあり、過去何年かのクリスマスで中途半端に使われた蝋燭を有効活用したのです。使い道がないと思っていましたので、10本くらい一気に灯しました。電気が発明される前の時代はこんなものだったのかな、と想像しながら炎を眺めました。また、もしこれが古代であったならば、火が灯るという出来事は、明かりが灯った、という次元の出来事ではなく、闇を消す行為、闇を支配する行為、闇に光をもたらす行為でありはしなかったか、と更に想像を巡らしたのです。火が灯り光を放った時、闇が消し飛んでしまうのですから。

ヨハネ福音書の言葉を思い出します。

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
(1:4-9)

今までは、聖書を読みながらも、闇に光が差し込めば光輝くのは当たり前、と大した感動もなく闇の中の光を眺めていたような気がします。私のクリスマス・イヴ礼拝の感動は、闇夜に光輝いたイエスへの感動ではなく、クリスマス・イヴの蝋燭とクリスマスキャロルが演出する空気に感動していただけなのかもしれません。いくら暗闇を想像してみても、ここ八王子めじろ台には真っ暗闇は存在しないのですから、本質的な意味において、闇の闇加減を体験できません。けれども震災の後、この闇はもっとリアルになりました。

古代社会は現代社会よりも光が少なく、闇の純度は相当高ったでしょう。ヨハネ福音書の読者は、「闇」「光」という言葉に強烈なリアリティを感じたはず。もちろん、ヨハネは自然界の闇のお話をしているわけではなく、宗教的概念を用いて私たちの光が何であるのか、闇が何であるのかを語っているのですが、その概念を提供するにあたっての素材が人々の日常生活の中にありました。

闇は不自由、弱点、危険、敗北、死者の世界、不安と直結します。今日よく言われる安心社会などとは縁遠い不安社会の中に現前する「闇」の世界のリアリティ……。けれども、その不安社会を形成する不安存在である私たちに光が差し込んだ! この私の中に! ヨハネの福音です。

ヨハネの福音の現実味を味わうために、産経新聞に掲載された曽野綾子さんのコラムを紹介しましょう。

ある日の夕方、NHKのニュースを見ていて、私はおかしな気分にとらえられた。

そこに出てくる、たくさんの人たち―校長先生、保母さん、母親たち、視力障害者、漁港の人、アナウンサー―などが流行語のように「安心して…したい」と言うのである。安心して仕事を始めたい。安心して子供を遊ばせたい。安心して昔と同じように暮らしたい。

私は私の人生で、かつて一度も、安心して暮らしたことはない。今一応安全なら、こんな幸運が続いていいのだろうか。電気も水道も止まらない生活がいつまでできるのだろうか、私の健康はいつまで保つだろうか、と、絶えず現状を信じずに暮らしてきた。

何度も書いているのだが、安心して暮らせる生活などというものを、人生を知っている大の大人が言うものではない。そんなものは、地震や津波が来なくても、もともとどこにもないのである。アナウンサーにも、最低限それくらいの人生に対する恐れを持たせないと、お子さま放送局みたいになって、聞くに堪えない軽さで人生を伝えることになる。

安心して暮らせる生活を、約束する人は嘘つきか詐欺師。求める方は物知らずか幼児性の持ち主である。前者は選挙中の立候補者にたくさん発生し、後者は女性か老人に多い。自分で働いてお金を得ている人は、現実を知っているから、なかなかそういう発想にならない。

しかしこれほど多くの人が「安心して暮らせる生活」なるものが現世にあるはずだ、と思い始めているとしたら、それは日本人全体の精神の異常事態だ。ことに、これだけの天災と事故が起きた後で、まだ「安心して暮らせる状況」があると思うのは、不幸な事態から何も学ばなかったことになる

政治家が、よく分からない時に限って、「きっちりやる」という癖があることは国民も気付き始めたようで、先日投書にも出ていたが、大きな事故の後は臨機応変の処置をしなければならず、日々刻々変化する状況に対して柔軟に戦略を立てていかなければならないから、決して大口をたたけない。一方、国民の方は昔から原発を「絶対に安全なのか」という言い方で追いつめてきた。「いや、物事に絶対安全はありませんから、事故の場合を想定して避難訓練もいたします」と原発側が言ったとすると「事故がおきる想定の下で、原発建設をやるのか!」とやられるから、「原発は絶対に安全です」という子供じみた応答になる。

しかし物事に「絶対安全」ということはないのである。今後いかなるエネルギー政策をやろうと、絶対の安全はないという認識が国民の側にもないと、物事は動かない。もちろん安全は必要だから、より安全を執拗に目指すことは当然だ。

「安心して暮らせる」とか「絶対安全でなければ」とかは、共に空虚な言葉だ。それは世の中に、完全な善人も悪人もいないのに、幼稚な人道主義者が、自分は善人でそうでない人は悪人と分けることと似ている。こんな子供じみたやり方では政治はもちろん、経済も文学も成り立ちえない。国民全体が知らず知らず感染している「安心病」をまともな感覚にまで引き戻す特効薬はないものか。

(産経新聞2011年5月27日号第一面「小さな親切、大きなお世話」より)

曽野さんはきついことを言いますが、当たっているだけに私などは何とも口ごもってしまいます。けれども、カトリックのキリスト者であり、文学者である曽野さんは、ヨハネが言及した「闇」をその小説の中でとことん掘り下げた方であり、マダガスカル、ルワンダ等のアフリカの貧困の中に何度もその身を置き、不安社会の現実をつぶさに見てこられた方です。頼れるもの、頼らねばらぬものは自分の筆一本だけ、とう自由業を選択し、生きてこられた方でもあるのです。彼女の徹底的リアリズムはそのような経験からくるのでしょう。であればこそ、なのですが、文学的センスを働かせて曽野節の行間を読みこみますと、私には「光」が見えてきます。キリスト者である彼女が逆説的に指さす、不安社会の中に光輝く「それ」への熱い思いが。

ヨハネならば「不安社会」に対して何と言うでしょうか。曽野節ならぬヨハネ節を想像してみました。

人間が作り出す光を一瞬で吹き飛ばす圧倒的力の存在を痛いほど知っている。ここ(心)にある。大人の目で己の心を覗き込めば、そこには吹き飛ばし難い「闇」を見る。己の存在が抱える矛盾に葛藤し、不安を覚えるのは、この闇を看取したからだ。光を食い尽してしまう闇を!

ヨハネ福音書の受け取り手は、この「不安」を知っていました。だからこそ、「光は闇の中で輝いている」という福音宣言に驚愕したのです。ヨハネ福音書に読み手にとってはまさかの話だったはずです。消えないのか? 輝くのか? 闇に食い尽されないのか?

ヨハネが見た、証した光、また多くのキリスト者たちが経験した光、出会った光は、灯を絶やさずに輝き続け、闇を凌駕する光でした。安心なき社会にあって、人間のコンディションに左右されない不動の平安を作り出す光、生きながらにして足元から己を腐らせていく闇を徹底的に葬り去る勝利の光だったのです。

その光はイエス・キリストであった。これがヨハネをはじめとする、イエスと出会った者たちが聖書に込めたメッセージです。