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2011/07/30  「我々がここに集う理由」  ――廣田美津子の召天を記念して
―― ヨハネによる福音書 11:25-26

本日、私たちは廣田美津子さんの生涯を記念するためにこの場に集いました。

まず、なぜ葬儀ではなく記念会という名でこの会を催すのかご紹介いたします。御覧の通り美津子さんの亡骸はここにはありません。美津子さんは生前すでに日本大学医学部に献体登録し、ご逝去の後、ご遺体は日本大学に引き取られています。医学的役割を終えた後、美津子さんのご遺体は荼毘に付され、数年後、お骨がご遺族に戻されます。

廣田美津子さんの生涯を記念する、とは、文字通り、昭和7(1932)年3月31日、新潟県北魚沼郡での誕生から、去る6月16日午前10:30、神奈川県相模原市の総合相模更生病院で息を引き取られるまでの79年6カ月を覚えることに他なりません。

美津子さんは2番目の子(長女)として生まれ、その人生の中で、恵司さんという伴侶を得て、5人のお子さんを授かりました。順一さん、安史さん、直史さん、明史さん、千穂さん。

本日はこの記念会をご覧のようにキリスト教会で執り行っています。美津子さんはイエス・キリストに救いを得、イエス・キリストの神への信頼(信仰)に生きた方でした。ですので、本日の記念会は、美津子さんの生涯を記念すると同時に、美津子さんを母の胎で形作り、命を与え、生涯を導き、天に召し、今もその美津子さんを懐に抱いて下さっている神に感謝をささげる会、葬送と哀悼と感謝の礼拝でもあります。

それにしても、どのような形態の葬送の儀であれ、客観的に考えますと、死者を弔うという行為は不思議なものです。死は例外なく誰にでも訪れるのに、今生きている者の数よりも、死んだ者の数の方が圧倒的に多いのに、私たちは故人を思わずにはおれない。私たちは生の最前線を生きているだけにすぎないにも拘わらず、弔いの時を持たずにはおれない。自然と合掌の思いがこみ上げてくる。ドライに人間を生物としてとらえれば、人の死は生物学的必然、生物学的肉体終焉に他なりませんのに…、100年後には、ここにいる私たちも全員朽ち果てていますのに…。まことに不思議ですね。

私たちは本日、美津子さんの生涯が閉じた、マル、と割り切った思いで、ここに集っているのではありません。古代ギリシアのある哲学者(エピクロス)の理解とはまったく違う死生観を持っているのです。この哲学者はこのように言いました。

「死について恐れる必要はない。なぜなら、その瞬間、私はそこにいないから。」 死んだら無に帰する、という人生観から発した言葉です。[1]

私たちは美津子さんの生涯を記念するためにここに集まりました。人の生涯は誕生から始まります。私たちは子供の誕生を喜びますね。子供がお腹に宿り、無事に生まれれば天にも昇る気持ちになるでしょう。美津子さんが誕生した時、ご両親は大層喜ばれたはずです。けれども、誕生は死への道のりの始めでもあるのです。つまり、「生」の誕生の時点で既に「死」が運命づけられる。新しい命は「死」を内包していて誕生するのです。

ですから、生きているだの死んでいるだの大騒ぎするな、という意見があったとすれば、ある意味その通りでしょう。

しかしながら、私たちは「死」に対して無関心であったり、平静であることはできない。人の死を、生物学的説明で片づけることはできないのです。それだけでは解消はできません。

なぜでしょうか。それは……人の生はそれ自体では成り立ちえず、必ず人間同士の関係、存在する者同士の関係、命の関係を生み出すからです。国家における関係、地域社会における関係、ビジネス社会における関係、親戚間における関係、いろいろあります。しかし、一番濃密で近しい関係は家族でしょう。「妻・夫」の関係であり、「母・子」の関係です。妻がいなくなれば、母親がいなくなれば、悲しいのです。自分の一部を失ったような痛みを憶えるのです。この事実は、「命の真実」が、生物学的現象以上のものであることを、私たちが知っているからに他なりません。知識としてだけではなく、存在論的に、です。人の一生は実に重いものです。美津子さんの一生も重かった。

人間は宗教的存在と言えるでしょう。何を信じようと、或いは何も信じなかろうと、命に喜び、命のはかなさに憂いを覚える存在です。生を尊び、死を悲しむ存在です。命に対するこれほどのこだわり/命に対するこのような眼差しは、極めて人間特融のものです。孤独死に痛みを感じるのも人間ならでは。命に対するこだわりなどなければ、一人で息を引き取ろうが、家族親戚友人にみとられようが、死は死なのですから。

美津子さんも宗教的存在でした。そして美津子さんはその宗教的生を、キリストの命で生きたのでした。自らの力で命を生きたのではなく、天与のものとして、賜物として、恵みとして、命を生きたのです。しかも、死んだら終わりの命ではなく、死んでも生きる復活のキリストの命で生きぬかれました。正確に言いますと、生かされぬきました。

復活のイエス・キリストの言葉です。

イエスは言われた。
「わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」
(ヨハネによる福音書11:25-26)

恵司さん、晩年の美津子さんの介護は辛かったですね。何故、他の人ではなく、私の妻に、私の母にこのような病が襲いかかったのか。答えがないだけに、何ともいえぬ辛さも残ります。

けれども、美津子さんが今私たちに声をかけられるとしたら、何と言われるでしょう。或いはこんなことをおっしゃられるかもしれません。遠藤周作の代表的作品『沈黙』の中の一節とイエスの復活を弟子たちに告げた天使の言葉を借りて想像してみたく思います。

(宣教師ロドリゴの言葉)「あの人(神)は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」

(イエスの墓にやってきた弟子たちへの天使の言葉)「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。(ルカ福音書24:5b)

人生はパズルのようなものです。いつなんどき、何が起こるか分かりません。生きている最中はパズルのパーツパーツの意味が分からず戸惑うことが多々あります。しかし、人生の最後の時に、息を引き取る時に、人はパズルの最後のパーツをはめ込みます。美津子さんも美津子さんオリジナルのパズルのパーツを、最後の時にはめ込みました。完成したその絵がどのようなものであったか……。美津子さんだけのオリジナルな素敵な絵。美津子さんの生を振り返ることのできる方々、とりわけ一番近くで見ていた恵司さんとお子さんたちにはその絵が見えますでしょう。

これからしばらくは夢の中でしか美津子さんと会うことはできません。しかし、いつの日か、私たちも美津子さんの行かれた世界に行く日が来ます。その時、笑顔と笑顔で相まみえることができる。それがイエス・キリストにある復活の希望です。

栄光は廣田美津子さんを召された主に、万歳!

[1] 【補足】その理由として、死によって人間は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ恐れる必要はないといった主張を行っている。